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「コインチェック」出川と「黒塗り」浜ちゃんに罪はあるのか / 日米のCM

 少し前にブログで『出演者にとって悲劇的なCM』という記事を書いた。そうしたら「コインチェック」の大騒動が起きて、CMに出演していた出川哲朗にも飛び火している。先の記事はこういうことを念頭に置いていたわけではないが、まあこういうことが起こり得るのは容易に想像できた。

 

 テレビといえば、大晦日の『ダウンタウンガキの使いやあらへんで!』で、浜田雅功エディ・マーフィーに扮するために顔を黒塗りにして世界的な問題になっている。
 「差別とは何か」ということまで考え始めてしまうと、とてもじゃないがこんなスペースにはまとめられないので、ここでは置いておくとして、このニュースを見たとき、「テレビはまだこんなことを当たり前にやっていたのか」と驚いた。『ガキ使』関係者は、過去からいったい何を学んできたのだろう。このバッシングが想定外なものなのだとしたら、あまりに無知だ。

 

 このふたつの騒動・問題が話題になるとき、「出演者に罪はあるのか」ということが必ずと言っていいほど議論になる。つまり、コインチェックのCMに出た出川は悪いのか、顔を黒塗りにした浜ちゃんは悪いのか、ということだ。
 いろいろな意見があるようだが、僕はこの二人にも罪は「ある」と考えている。以下にその理由を書こう。

 

 「出演者に罪がない」という人は、こう言う。「スタッフや事務所が悪いのだ」と。つまり、出川は事務所が取ってきた仕事をやったに過ぎず、浜ちゃんの顔を黒塗りにする演出をしたのはスタッフである、と。「主体」が出演者にはないということだ。
 でも、本当にそうだろうか? もしそうなのだとしたら、タレントって、ただの「お飾り」なのだろうか?
 「タレントなんて所詮そんなもん」とか、「タレントは中身が空っぽだからね」という論を唱える人が、出川や浜ちゃんは悪くないと言うのならわかる。しかし、そう考えない人が、つまりタレントに個性や価値を認めている人が、スタッフや事務所にすべての責任を押し付けてしまうのは、理屈が合わない。「出川の頑張っている姿が好き」とか、「ダウンタウンはすごい才能の持ち主」とか言っている人が、こんなときだけ「でもタレントは空っぽのただの「飾り」だから悪くない」なんて言うのは、タレントに対してあまりに失礼だ。価値を認めるのであれば、罪を有することも認めなければならない。

 

 なので、出演や演出を受け入れた以上、僕は出演者にも責任が生じていると考える。タレントがただの「シンボル」だった時代は、もう終わっている。

 


 最近は少し状況が変わってきているらしいが、アメリカではスターたちがCMに出ることは稀だったという。
 出演者としては、「CMは「二流以下」や「落ち目」が出るもの」という意識があるほか、「その商品に何かあったら出演者にも訴訟が及ぶかもしれない」という懸念があったようだ。広告主としては、「その出演者を嫌う人が商品を買ってくれなくなる」ことを恐れていた。
 日本人は「誰が」使っているかで購買意欲が刺激される傾向がある一方、アメリカ人はその商品が「いかに」優れているかで購入を判断するのだという文化的な違いも指摘されている。それはCMの内容にも色濃く反映されているとのこと。
 つまりは、アメリカでは「CMに出るなんてみっともないし、リスクもある」とされて、「そもそも誰を出そうが売り上げに影響なんてしない」ということのようだ(だからギャラの安い俳優やタレントを使う)。「CM女王」という言葉がある日本とは、考え方がまるで違う。
 思い返せば、嵐が好きな僕の祖母はちゃんと日立の冷蔵庫を買った(ポンコツすぎて2年間で3回もメインの基盤を交換することになった)。僕も嫌いなタレントが出ているCMの商品は買わない(これはアメリカでも同じことのよう)。
 ただ、出演者にとってCMがカネになるのは間違いのないようで、アメリカのスターが日本でCMに出ることはけっこうある。日本人はCMの「出演者」を重視するので、スターの需要は高いようだ。なお、その際は「アメリカでは流さない」みたいな契約をするらしい(見られると「あいつ落ち目だな」と思われるので)。
 とはいえ、最初にも書いたけど、アメリカでもこういう状況は崩れてきているという話も聞く。
 僕はかの「ペプシチャレンジ」のような「比較広告」がけっこう好きなのだけど、日本人はこういうのがお嫌いなようで、ほとんどお目にかかることがない。まあ、日本人が作ったら、データを使うにしても改ざんされそうだし、ユーザーもそれにまんまと騙されそうなんだけど(アメリカの事情は知らないが)。